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東京地方裁判所 昭和39年(行ウ)101号 判決

東京都杉並区高円寺北一丁目九番二号

原告

大河原幸作

右同所

原告

大河原貞子

右両名訴訟代理人弁護士

萩原平

破入信夫

右萩原訴訟復代理人弁護士

山本政敏

東京都杉並区成田東四丁目一五番八号

被告

杉並税務署長

倉川康

右指定代理人

三宅康夫

関戸昭治

藤原修志

篠田学

主文

被告が原告大河原幸作の昭和三四年分所得税につき昭和三八年三月七日付でした更正処分及び過少申告加算税賦課決定(昭和三八年三月一四日付再更正処分及び昭和四七年一〇月三一日付再々更正処分により一部減額された後のもの)のうち総所得金額五四六万一六〇一円を基礎として算出される額を超える部分を取り消す。

原告大河原幸作のその余の請求及び原告大河原貞子の請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた判決

一  原告ら

(原告大河原幸作)

被告が原告大河原幸作の昭和三四年分所得税につき昭和三八年三月七日付でした更正処分及び過少申告加算税賦課決定(昭和三八年三月一四日付再更正処分及び昭和四七年一〇月三一日付再々更正処分により一部減額された後のもの)並びに昭和三五年分及び昭和三六年分の各所得税につき昭和三八年三月一三日付でした各更正処分及び過少申告加算税賦課決定(昭和三五年分については昭和三九年七月三一日付審査裁決、昭和四七年一〇月三一日付再更正処分及び昭和五一年五月三一日付再々更正処分により、昭和三六年分については昭和三九年七月三一日付審査裁決、昭和四七年一〇月三一日付再更正処分により、それぞれ一部減額された後のもの)をいずれも取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

(原告大河原貞子)

被告が原告大河原貞子の昭和三四年分所得税につき昭和三八年三月三一日付でした更正処分及び無申告加算税賦課決定(昭和三九年七月三一日付審査裁決、昭和四七年一〇月三一日付再更正処分により一部減額された後のもの)並びに昭和三五年分及び昭和三六年分の各所得税につき昭和三八年三月一三日付でした各決定処分及び無申告加算税賦課決定(昭和三五年分については昭和三九年七月三一日付審査裁決、昭和四七年一〇月三一日付更正処分及び昭和五一年五月三一日付再更正処分により、昭和三六年分については、昭和三九年七月三一日付審査裁決、昭和四七年一〇月三一日付更正処分により、それぞれ一部減額された後のもの)をいずれも取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

第二原告らの請求原因

一  原告大河原幸作(以下「原告幸作」という。)は、その昭和三四年分ないし昭和三六年分の所得税について別表一の各確定申告欄記載のとおり確定申告をしたところ、被告から同表各更正欄記載のとおり更正処分及び過少申告加算税賦課決定(以下一括して「本件課税処分(一)」という。)を受け、昭和三四年分について同表再更正欄記載のとおり再更正処分により一部減額を得たにとどまったので、本件課税処分(一)に対して異議申立てをしたところ審査請求とみなされ、同表各裁決欄記載のとおり、昭和三五年分、昭和三六年分について一部取消しを得たが、昭和三四年分については棄却された。その後、原告幸作は、同表各該当欄記載のとおり、昭和三四年分については再々更正処分により、昭和三五年分については再更正処分及び再々更正処分により、昭和三六年分については再更正処分により、それぞれ一部減額を得た。

二  原告大河原貞子(以下「原告貞子」という。)は、その昭和三四年分ないし昭和三六年分の所得税について別表二の各決定欄記載のとおり決定処分及び無申告加算税賦課決定を受け、さらに、昭和三四年分について同表更正欄記載のとおり更正処分及び無申告加算税賦課決定(以下、昭和三四年分についての右更正処分及び無申告加算税賦課決定並びに昭和三五年分、昭和三六年分についての決定処分及び無申告加算税賦課決定を一括して「本件課税処分(二)」という。)を受けたので、本件課税処分(二)に対して異議申立てをしたところ審査請求とみなされ、同表各裁決欄記載のとおり、各年分について一部取消しを得たにとどまった。

その後、原告貞子は、同表各該当欄記載のとおり、昭和三四年分については再更正処分により、昭和三五年分については更正処分及び再更生処分により、昭和三六年分については更正処分により、それぞれ一部減額を得た。

三  しかしながら、本件課税処分(一)、(二)は、いずれも総所得金額を過大に認定した違法があるから、その取消しを求める。

第三請求原因に対する認否

請求原因一、二は認めるが、同三の主張は争う。

第四被告の主張

一  昭和三四年分の総所得金額

(原告幸作)

1 原告幸作の昭和三四年分の総所得金額は、次のとおり五四六万八四二六円であり、再々更正処分後の総所得金額はこの範囲内である。

(一) 給与所得金額 六四万七六七八円

(二) 不動産所得金額 三九万九五一二円

(三) 配当所得金額 三万九二四〇円

(四) 雑所得金額 四三八万一九九六円

(五) 総所得金額 五四六万八四二六円

2 右のうち、争いのある不動産所得金額、配当所得金額、雑所得金額の認定根拠は次のとおりである。

(一) 不動産所得金額 三九万九五一二円

原告幸作の単独所有地の地代収入一一万四七〇七円に同原告及び原告貞子の共有地(持分二分の一ずつ)の地代収入九一万二〇五一円の二分の一にあたる四五万六〇二五円を原告幸作の収入として加算した五七万〇七三二円に所得標準率七〇パーセントを乗じて、不動産所得金額三九万九五一二円を算定した。

右共有地の地代収入九一万二〇五一円のうちには訴外松本浩一名義の杉並区高円寺二丁目四三七番四一・〇二坪、同四三八番二五五・五五坪、同三八九番七五・〇三坪、高円寺四丁目六二六番二四〇・七二坪、同六三二番二一三・四七坪の五筆の土地(以下「第一の土地」という。)の地代収入二六万一一四四円が含まれている。右土地については登記簿上昭和二七年一月三一日原告らの義父大河原房次郎(以下「房次郎」という。)から松本浩一名義に所有権移転登記が経由されているが、右登記は実体の伴わない虚偽のものであり、右土地は房次郎の所有であったところ、同人が昭和二七年一月四日に死亡したため、原告らがこれを相続により取得したものであるから、その地代二六万一一四四円は原告らに帰属するものである。右土地が原告ら所有のものであり、地代収入も原告らに帰属することは、松本浩一が右土地を所有していないと供述していること、右土地につき貸主を原告幸作とする賃貸借契約書が作成されていること、右土地の賃借人は賃料を原告らに支払い原告幸作名義の領収書を受領していること、右土地につき原告らが記帳、保管していた土地賃料台帳には「松本」と表示された欄に地代を受領したと記載されていること、賃借人が支払った地代の一部は原告幸作の預金口座に入金されていることからも明らかである。この点は、昭和三五年分及び昭和三六年分についてもいえることである。

(二) 配当所得金額 三万九二四〇円

原告幸作名義の株式の配当金一万九一一七円(準備手続の結果の要約書に一万九一一五円と記載されているのは明白な誤記と認める。)に同原告が所有する訴外池田りき名義の東京ガスの株式(以下「本件株式」という。)の配当金一万六二〇〇円を加算して三万五三一七円(右要約書及び被告の昭和四〇年二月一〇日付、同四二年七月一二日付各準備書面に三万五三一五円と記載されているのは明白な誤記と認める。)を算出し、これは源泉徴収税額(一〇パーセント)控除後の金額であるから、右三万五三一七円を九〇パーセントで除して、配当所得金額三万九二四〇円を算定した。

本件株式が原告幸作の所有するものであることは、池田りきは原告幸作の実母であり、同原告とは在所を異にしていたが、東京ガス株式会社の名義換代理人中央信託銀行株式会社備付の株主名簿によると、株主池田りきの住所は原告幸作が右株式配当金を受領するに都合のよい杉並区高円寺六-六五七原告幸作方として登録されており、また、右株式配当金は原告幸作の協和銀行高円寺支店の普通預金口座に入金されているのであり、さらに、右株式は池田りきの死亡後池田行夫名義に変更されているが、池田行夫は実在の人物ではなく、原告幸作の別名と思料されることから明らかであり、したがって、その配当金も同原告に帰属するものというべきである。この点は、昭和三五年分及び昭和三六年分についてもいえることである。

(三) 雑所得金額 四三八万一九九六円

(1) 訴外上野菊雄に対する貸付利子収入三万九〇〇〇円と訴外東日本開発株式会社(以下「東日本開発」という。)に対する長期貸付利子収入九万〇三九九円との合計一二万九三九九円に所得標準率八七・五パーセントを乗じた一一万三二二四円に不動産売買益四二六万八七七二円を加算して、雑所得金額四三八万一九九六円を算定した。

(2) 上野菊雄に対する貸付利子収入について

原告幸作の賃料台帳の記載及び同原告の供述により、上野菊雄に対する貸付利子収入三万九〇〇〇円を算定した。

仮りに、右金額が貸付利子収入と認められないとしても、右金額は左記理由により不動産所得を構成するものというべきである。すなわち、原告幸作は、昭和三一年一二月一八日上野菊雄の子上野智章から杉並区高円寺四丁目五八三番の三の宅地六五・二五坪(以下「第二の土地」という。)を買い受けたが、右土地のうち四〇坪については坂田幸太郎が月二〇〇〇円で、また、うち二五坪については中村とみ子が月一二五〇円で賃借していたのであるから、同原告は右土地の所有権を取得すると同時に賃貸人の地位をも承継したものといわなければならない。してみれば、右土地の地代として昭和三四年中に合計三万九〇〇〇円を収受したものというべく、右収入は不動産所得を構成するものというべきである。

原告幸作は、後記のとおり、右土地は同原告の三男大河原正紀(以下「正紀」という。)の所有に属するものである旨主張するが、正紀への所有権移転登記は本件更正処分の通知書が原告幸作に送達された翌日の昭和三八年三月八日に急遽なされたものであって、右登記は実体に符合したものとはいいがたく、当時一六歳にすぎない右正紀(昭和一五年九月一五日生)に右土地を買い受ける資金があるとは到底考えられないことであり、現に右土地の地代は原告幸作名義をもって受領されているのであるから、同原告の右主張は失当である。

以上の点は、昭和三五年分及び昭和三六年分についてもいえることである。

(3) 東日本開発に対する長期貸付利子収入について

原告幸作は東日本開発に対し昭和三四年七月二一日一〇〇万円、同年九月一日五〇万円合計一五〇万円を、(ア)東日本開発は、右金員を住友銀行新宿支店に定期預金をし、定期預金証書は原告幸作が保管すること、(イ)東日本開発は右定期預金を担保として住友銀行新宿支店より貸付けを受け、これを同行の普通預金として預入しておくこと、(ウ)東日本開発は資金の必要を生じた都度原告幸作の承諾を受けて右普通預金から払戻しを受けること(払戻請求書には東日本開発の印鑑のほか原告幸作の印鑑の押捺が必要であり、原告幸作の印鑑が住友銀行新宿支店に届け出られていた。)、(エ)定期預金の利子は原告幸作において受領すること、(オ)東日本開発は右普通預金から払戻しを受けた金額に対し年一〇割の利息を原告幸作に支払うこととの約定で貸し付けた。

そして、東日本開発は、次表貸付金額欄記載のとおり右普通預金口座から合計一二五万円の払戻しを受けたが、昭和三四年中には原告幸作に対して約定の利息の支払いをしなかったので、同表算出利息欄記載のとおり、各貸付金額に対する払戻日から昭和三四年一二月三一日までの期間に対応する利息制限法所定の制限利率による利息を算出し、東日本開発に対する長期貸付利子収入九万〇三九九円を算定した。

〈省略〉

(4) 不動産売買益について

原告幸作は、昭和三一年一一月三〇日訴外小島吉五郎から町田市小野路新屋敷の田二反四畝一七歩、畑二反二八歩、原野一畝七歩、山林九反九畝二三歩及び同地金子田の畑二反三畝二五歩を四〇万五八二八円で買い受け、右金子田の畑二反三畝二五歩を除く右新屋敷の田、畑、原野、山林(取得価額は三二万一八六二円相当)(以下「第三の土地」という。)を、同三四年一二月七日訴外小田急電鉄株式会社(以下「小田急電鉄」という。)に四六〇万六二八〇円で売却し、また、昭和三二年九月訴外瀬田幾次郎から新宿区西落合三の九五一番地所在の家屋(以下「本件家屋」という。)を三五万円で買い取り、これを昭和三四年四月一五日訴外広瀬隆子に六三万円で売却した。

これらの取引行為による所得は、原告幸作の地位(明石商事株式会社不動産部長)、取引の経緯、代金授受の状況等から営利を目的とした継続的行為であると認められるので雑所得に該当する。なお、同原告が当時営利を目的とした不動産取引を継続的に行っていたことは、後記昭和三五年分について述べる事情からも明らかである。そこで、取得価額と売却価額との合計額の五パーセント相当額を手数料として必要経費と認め、所得金額を算定した。すなわち、小田急電鉄への売却分については、取得価額三二万一八六二円と売却価額四六〇万六〇二八円との合計四九二万七八九〇円に五パーセントを乗じた二四万六三九四円に右三二万一八六二円を加算した五六万八二五六円を右四六〇万六〇二八円から控除して、所得金額四〇三万七七七二円を算出し、広瀬隆子への売却分については、取得価額三五万円と売却価額六三万円との合計九八万円に五パーセントを乗じた四万九〇〇〇円に右三五万円を加算した三九万九〇〇〇円を右六三万円から控除して所得金額二三万一〇〇〇円を算出し、結局、右四〇三万七七七二円と二三万一〇〇〇円とを合算して、不動産売買益四二六万八七七二円を算定した。

(原告貞子)

1 原告貞子の昭和三四年分の総所得金額は、次のとおり三三万九五二七円であり、再更正処分後の総所得金額はこの範囲内である。

(一) 不動産所得金額 三一万九二一七円

(二) 配当所得金額 二万〇三一〇円

(三) 総所得金額 三三万九五二七円

2 右のうち、争いのある不動産所得金額の認定根拠は次のとおりである。

すなわち、原告らの共有地(持分二分の一ずつ)の地代収入九一万二〇五一円の二分の一にあたる四五万六〇二五円を原告貞子の収入とし、これに所得標準率七〇パーセントを乗じて、不動産所得金額三九万九五一二円を算定した。

なお、右地代収入九一万二〇五一円のうちには松本浩一名義の第一の土地の地代収入二六万一一四四円が含まれているが、これが原告らに帰属すべきものであることは、原告幸作に対する主張と同様である。

3 原告貞子は、法定申告期限内に昭和三四年分の確定申告書を提出しなかったので、無申告加算税の賦課を免れない。

二  昭和三五年分の総所得金額

(原告幸作)

1 原告幸作の昭和三五年分の総所得金額は、次のとおり一三八六万七六一〇円であり、再々更正処分後の総所得金額はこの範囲内である。

(一) 給与所得金額 六二万九四五六円

(二) 不動産所得金額 六五万〇二四九円

(三) 配当所得金額 五万一五三〇円

(四) 雑所得金額 一七九万九二七一円

(五) 一時所得金額 一〇七三万七一〇四円

(六) 総所得金額 一三八六万七六一〇円

2 右のうち、争いのある不動産所得金額、配当所得金額、雑所得金額、一時所得金額の認定根拠は次のとおりである。

(一) 不動産所得金額 六五万〇二四九円

(1) 不動産賃料六二万五二四九円に名義書換料二万五〇〇〇円を加算して、不動産所得金額六五万〇二四九円を算定した。

(2) 不動産賃料六二万五二四九円は、原告幸作の単独所有地の地代収入一二万一八一二円に同原告及び原告貞子の共有地(持分二分の一ずつ)の地代収入一九一万九九四七円の二分の一にあたる九五万九九七三円を原告幸作の収入として加算した一〇八万一七八五円に所得標準率七〇パーセントを乗じて七五万七二四九円を算出し、さらに特別経費として訴訟費用一三万二〇〇〇円を控除して算定した。

右共有地の地代収入一九一万九九四七円のうちには松本浩一名義の第一の土地の地代収入二六万一一四四円が含まれているが、右地代収入が原告らに帰属するものであることは、昭和三四年分についてと同様である。

(二) 配当所得金額 五万一五三〇円

原告幸作名義の株式の配当金一万三九八四円に同原告が所有する池田りき名義の本件株式の配当金三万二四〇〇円を加算して四万六三八四円を算出し、これは源泉徴収税額(一〇パーセント)控除後の金額であるから、右四万六三八四円を九〇パーセントで除して、配当所得金額五万一五三〇円を算定した。

本件株式の配当金三万二四〇〇円が原告幸作に帰属するものであることは、昭和三四年分についてと同様である。

(三) 雑所得金額 一七九万九二七一円

(1) 上野菊雄に対する貸付利子収入三万九〇〇〇円、東日本開発に対する長期貸付利子収入五三万一二〇八円及び短期貸付利子収入一〇万一二二一円の合計六七万一四二九円に所得標準率八七・五パーセントを乗じた五八万七五〇〇円に不動産売買益一一〇万六三七五円及び雑収入一〇万五三九六円を加算して、雑所得金額一七九万九二七一円を算定した。

(2) 上野菊雄に対する貸付利子収入について

原告幸作の賃料台帳の記載及び同原告の供述により、上野菊雄に対する貸付利子収入三万九〇〇〇円を算定した。仮りに、右金額が貸付金利子収入と認められないとしても、この三万九〇〇〇円は不動産所得を構成するものというべきである。その理由は昭和三四年分と同様である。

(3) 東日本開発に対する長期貸付利子収入について

昭和三四年分について述べたとおり、原告幸作は昭和三四年中に東日本開発に対して一五〇万円を貸し付け同年中にはなんら弁済を受けなかったのであるから、昭和三五年一月一日現在の右貸付金元本額は一五〇万円であった。

(ア) そして、原告幸作は、昭和三五年三月一三日東日本開発から代物弁済として同社所有の町田市野津田町字本村一七二八番の一所在の山林六畝一一歩及び右同所一七七〇番の三所在の山林六歩(以下「第四の土地」という。)を譲り受け、右長期貸付金一五〇万円に対する同年一月一日から同年三月三一日までの利息一三万九〇〇〇円及び同年四月一日から同年六月三〇日までの利息一六万一〇〇〇円並びに右貸付金元本のうち六五万一四〇〇円に充当した。

(イ) 次に、同原告は同年五月三〇日再び東日本開発から代物弁済として同社所有の町田市野津田町字本村一七七一番の一所在の山林五畝一一歩(以下「第五の土地」という。)を譲り受け、右長期貸付金に対する利息としての一五万円及び右貸付金元本の支払いのため同年四月二九日に東日本開発から振り出されていた額面四〇万円の約束手形金のうちの一七万円にそれぞれ充当した。ただし、右手形金額の中には振出しの際に右長期貸付金の利息五万一四〇〇円が含まれていたため、手形金の支払いにかかる右一七万円は民法四九一条によりまず右利息五万一四〇〇円に充当されるべきであるから、本件代物弁済により同原告が利息として収受した額は合計二〇万一四〇〇円(一五万円十五万一四〇〇円)となり、一方、貸付金元本に対する弁済として収受した額は一一万八六〇〇円(一七万円-五万一四〇〇円)となるものである。

(ウ) さらに、(ア)(イ)のとおり東日本開発から同原告に利息として支払われた金額につき利息制限法所定の制限利率を超過した利息については貸付元本に充当して本件長期貸付金の残存元本額を計算するならば、昭和三五年六月三〇日現在における貸付元本額は別表三の該当欄記載のとおり三九万六四六九円となる。(なお、(ア)の代物弁済により支払われた利息のうち、一月一日から三月三一日までの間(九一日)についての一三万九〇〇〇円は、一月一日から右代物弁済により元本の一部である六五万一四〇〇円が支払われた三月一三日まで(七三日)の分と、それ以後である三月一四日から三月三一日まで(一八日)の分をそれぞれの日数に応じて按分し、また、四月一日から六月三〇日までの間(九一日)についての一六万一〇〇〇円も、四月一日から(イ)の代物弁済がなされ利息及び元本が支払われた五月三〇日まで(六〇日)の分と、それ以後である五月三一日から六月三〇日まで(三一日)の分をそれぞれの日数に応じて按分し、右各期間に対応する利息が支払われたものとして計算した。また、利息制限法所定の制限を超過する各利息については、まず本件長期貸付金につき昭和三四年中に発生した利息九万〇三九九円(昭和三四年分についての主張参照)に充当し、その後に本件貸付金元本に充当した。さらに、(イ)の代物弁済により支払われた利息合計二〇万一四〇〇円(五万一四〇〇円+一五万円)については昭和三五年のいずれの期間についてのものか明らかでないうえ、そもそも利息制限法所定の制限内の利息については(ア)の代物弁済のなされた三月一三日において六月三〇日までの分の支払いがなされていることになるから、すべて元本に充当されるべきものとみなすのが相当である。したがって、(イ)の代物弁済が行われた五月三〇日において元本に充当されるべき金額は、前記のとおり元本に対する支払いとして収受された一一万八六〇〇円と右二〇万一四〇〇円の合計三二万円となるから、(ア)の代物弁済により支払われた利息の元本充当額を計算し六月三〇日現在における残存元本額を算出するにあたっては、右のとおり五月三〇日において右三二万円の元本に対する弁済があったものとして計算した。)

(エ) その後、同原告は同年中に東日本開発から利息の支払いを受けていないが、前記のとおり利息制限法の制限利率を超えた年一〇割という利率の約定がある場合、未収利息分のうち利息制限法所定の制限利率により計算した部分については課税の対象になるものである。したがって、六月三〇日現在における長期貸付金の残存元本三九万六四六九円について同年七月一日から一二月三一日までの間(一八四日間)の利息額を利息制限法所定の制限利率(年一割五分)により計算すると二万九八〇八円となる(別表三該当欄参照)から、右金額も同原告の長期貸付金による利子収入に加えられるべきである。

右の次第で、(ア)及び(イ)のとおり現実に利息として収受した三〇万円と二〇万一四〇〇円に(エ)の未収利息二万九八〇八円を加算して、東日本開発に対する長期貸付利子五三万一二〇八円を算定した。

(4) 不動産売買益について

原告幸作は、昭和三五年一月五日訴外海老沢靏太郎から町田市大蔵町字五反田所在宅地二四五坪(以下「第六の土地」という。)を二四五万円で買い受け、これを同年二月一〇日訴外清水弥太郎に三八七万二五〇〇円で売却した。

右取引行為による所得は、原告幸作の地位(明石商事株式会社不動産部長)、取引の経緯、代金授受の状況等から営利を目的とした継続的行為であると認められるので雑所得に該当する。同原告が当時営利を目的とした不動産取引を継続的に行っていたことは、前記(3)で述べたとおり、同原告は、東日本開発から長期貸付金の代物弁済として第四、第五の土地を取得したものであるが、第四の土地については昭和三五年四月二二日に、第五の土地については同年八月二日にそれぞれ有限会社鶴川農園に売却していることからも明らかである。そこで、取得価額と売却価額との合計額の五パーセント相当額を手数料として必要経費と認め、所得金額を算定した。すなわち、取得価額二四五万円と売却価額三八七万二五〇〇円との合計六三二万二五〇〇円に五パーセントを乗じた三一万六一二五円に右二四五万円を加算した二七六万六一二五円を右三八七万二五〇〇円から控除して、不動産売買益一一〇万六三七五円を算定した。

(四) 一時所得金額 一〇七三万七一〇四円

原告らの養父房次郎は、同族会社である訴外有限会社大和不動産(以下「大和不動産」という。)に対し昭和二六年一〇月一三日及び同年一一月二日の二回にわたり、自己所有の杉並区高円寺所在の宅地六一四〇・四七坪(以下「第七の土地」という。)を二一四万九一九六円で売り渡したが、その後昭和三五年一〇月六日、右房次郎の死亡により同人の遺産を相続した原告らと大和不動産との間で右売買契約を合意解除し、原告らが右代金相当額の二一四万九二二三円(原告らは右代金が二一四万九一九六円であるのを二一四万九二二三円と誤認したようである。)を大和不動産に返還し、併せて同会社の債務六五万五八八四円を引き受けることとして、同月一一日房次郎から同会社に対する所有権移転登記の抹消登記手続をしたうえ、即日原告らにおいて相続を登記原因とする所有権移転登記(持分二分の一ずつ)を了した。

ところで、第七の土地の昭和三五年一〇月当時の時価は四六〇五万三五二五円であったから、右行為計算をそのまま認容すると大和不動産と特殊の関係にある原告らの所得税の負担を不当に減少させる結果となると認められたので、昭和三七年法律第六七号による改正前の旧所得税法(以下単に「法」という。)六七条一項により右行為計算を否認し、大和不動産から原告らに対して右土地が時価四六〇五万三五二五円で売り渡されたものとして所得を計算することとした。そうすると、原告らは、右土地を取得するために前記返還代金二一四万九二二三円と債務引受額六五万五八八四円との合計額二八〇万五一〇七円しか負担しなかったのであるから、右四六〇五万三五二五円から二八〇万五一〇七円を控除した四三二四万八四一八円は原告らが大和不動産から贈与されたものとしてこれを一時所得とし、その二分の一にあたる二一六二万四二〇九円が原告幸作に帰属するものと認め、右二一六二万四二〇九円から特別控除額一五万円を控除した二一四七万四二〇九円に二分の一を乗じて、一時所得金額一〇七三万七一〇四円を算定した。

前記行為計算を否認した理由を説明すれば、(ア)第七の土地の売買契約締結時からその合意解除時までには約九年の歳月が経過しており、その間、その契約当事者においてなんらの紛争もなかったこと、(イ)右売買契約は双方とも履行を完了し、その目的を達しているのに、突如として合意解除がなされたこと、(ウ)右土地の時価は異常に高騰しているのに、大和不動産はその買受代金相当額を受領しただけで右土地を引き渡していること(もっとも、その外に六五万五八八四円の債務引受をしているが、これを合わせても当時の時価からすれば僅少すぎるものである。)からみて、右合意解除は経済的、実質的に経済人の行為として不合理、不自然なものと認められ、税負担の回避、軽減を目的として行われたものと考えられたからである。右合意解除が税負担の回避、軽減を目的として行われたものであることは、合意解除されるに至った事情からも明らかである。すなわち、訴外三井由春外四名が静岡地方裁判所沼津支部に大和不動産を相手として解散命令(有限会社法四条、商法五八条)の申立てをしたため、原告らは、同会社がなんら実体のない会社であることが発覚し、裁判所から解散命令を受けることは必至であると考え、解散となれば右土地を処分しなければならないので、むしろ解散命令の前に右土地を原告らの所有に移し、大和不動産自ら解散して紛争の収束を図るのが得策であるとし、同会社代表取締役市島徹太郎が原告幸作らと相談のうえ、右土地を売買等により原告幸作、同貞子に移転する場合課せられるべき税の負担を考慮して、税務対策上、右土地の先の売買契約の合意解除という法形式を用いたのである。

原告らは、後記のとおり、大和不動産がなんら実体のない会社で房次郎から第七の土地を買い受けたことはないと主張する。しかしながら、これが事実に反することは、大和不動産と房次郎との間で右土地についての売買契約書が作成されたこと、大和不動産が安西敏雄から右土地の購入代金に充当するとの特約で金員を借り受けたこと、大和不動産が会計処理上右土地を資産として計上し、また、右土地についての固定資産税、都市計画税を損金として計上していたこと、大和不動産が前記三井由春らとの訴訟において、房次郎から右土地を買受けたと主張したことからみても明らかである。また、原告らは、右土地の所有名義を房次郎から大和不動産に移転することによって房次郎の死亡に伴う右土地についての相続税を免れておきながら、本訴において、大和不動産から原告らへの右土地の譲渡が問題となるや、大和不動産の実態を否認し、右土地は大和不動産に移転しなかったと主張することは、信義則に反し許されない。

なお、一時所得金額についての主張は、すべて原告貞子に対してもいえることである。

(原告貞子)

1 原告貞子の昭和三五年分の総所得金額は、次のとおり一一三二万三六六五円であり、再更正処分後の総所得金額はこの範囲内である。

(一) 不動産所得金額 五六万四九八一円

(二) 配当所得金額 二万一五八〇円

(三) 一時所得金額 一〇七三万七一〇四円

(四) 総所得金額 一一三二万三六六五円

2 右のうち、争いのある不動産所得金額、一時所得金額の認定根拠は次のとおりである。

(一) 不動産所得金額 五六万四九八一円

(1) 不動産賃料五三万九九八一円に名義書換料二万五〇〇〇円を加算して、不動産所得金額五六万四九八一円を算定した。

(2) 不動産賃料五三万九九八一円は、原告らの共有地(持分二分の一ずつ)の地代収入一九一万九九四七円の二分のにあたる九五万九九七三円を原告貞子の収入とし、これに所得標準率七〇パーセントを乗じて六七万一九八一円を算出し、さらに特別経費として訴訟費用一三万二〇〇〇円を控除して算定した。

なお、右地代収入一九一万九九四七円のうちには松本浩一名義の第一の土地の地代収入二六万一一四四円が含まれているが、これが原告らに帰属すべきものであることは、原告幸作に対する主張と同様である。

(二) 一時所得金額 一〇七三万七一〇四円

一時所得金額についての主張は原告幸作に対するものと同様である。

3 原告貞子は、法定申告期限内に昭和三五年分の確定申告書を提出しなかったので、無申告加算税の賦課を免れない。

三  昭和三六年分の総所得金額

(原告幸作)

1 原告幸作の昭和三六年分の総所得金額は、次のとおり四九〇万一九〇六円(被告の昭和五三年二月一八日準備書面(その三)の別表に四九〇万一九〇八円と記載されているのは明白な誤記と認める。)であり、再更正処分後の総所得金額はこの範囲内である。

(一) 給与所得金額 六八万八〇〇〇円

(二) 不動産所得金額 一五三万四四二九円

(三) 配当所得金額 五万四〇三七円

(四) 雑所得金額 六九万七六一五円

(五) 譲渡所得金額 一九二万七八二五円

(六) 総所得金額 四九〇万一九〇六円

(右(三)につき被告の前記準備書面に五万四〇三九円と記載されているのは明白な誤記と認める。)

2 右のうち、争いのある不動産所得金額、配当所得金額、雑所得金額、譲渡所得金額の認定根拠は次のとおりである。

(一) 不動産所得金額 一五三万四四二九円

(1) 不動産賃料一一七万一〇五四円に更新料三六万三三七五円を加算して、不動産所得金額一五三万四四二九円を算定した。

(2) 不動産賃料一一七万一〇五四円は、原告幸作の単独所有地の地代収入一四万四四八四円に同原告及び原告貞子の共有地(持分二分の一ずつ)の地代収入三二七万四〇四七円の二分の一にあたる一六三万七〇二三円を原告幸作の収入として加算した一七八万一五〇七円に所得標準率七〇パーセントを乗じて一二四万七〇五四円を算出し、さらに特別経費として訴訟費用三万五〇〇〇円及び雇人費四万一〇〇〇円を控除して算定した。

右共有地の地代収入三二七万四〇四七円のうちには松本浩一名義の第一の土地の地代収入二〇万〇九二八円が含まれているが、右地代収入が原告らに帰属するものであることは、昭和三四年分についてと同様である。

(3) 更新料三六万三三七五円は、原告らの共有地(持分二分の一ずつ)についての土地賃貸借契約の更新料として、昭和三六年一一月九日に借地人興産信用金庫から収受した五二万六七五〇円と同月二八日に借地人堀内伊太郎から収受した二〇万円を合算した七二万六七五〇円に二分の一を乗じて算定した。

(二) 配当所得金額 五万四〇三七円

原告幸作名義の株式の配当金九七二一円に同原告が所有する池田りき名義の本件株式(下期には同人の死亡により池田行夫名義に変更された。)の配当金三万八九一三円を加算して四万八六三四円を算出し、これは源泉徴収税(一〇パーセント)控除後の金額であるから、右四万八六三四円を九〇パーセントで除して配当所得金額五万四〇三七円を算定した。

本件株式の配当金三万八九一三円が原告幸作に帰属するものであることは、昭和三四年分についてと同様である。

(三) 雑所得金額 六九万七六一五円

(1) 上野菊雄に対する貸付利子収入四万〇六〇〇円、東日本開発に対する長期貸付利子収入五万九四七〇円及び短期貸付利子収入二〇万二〇五五円、手形割引手数料収入六万五〇五五円の合計三六万七一八〇円に所得標準率八七・五パーセントを乗じた三二万一二八二円と、仲介手数料収入四六万八六六〇円に所得標準率八〇・三パーセントを乗じた三七万六三三三円とを加算して、雑所得金額六九万七六一五円を算定した。

(2) 上野菊雄に対する貸付利子収入について

原告幸作の賃料台帳の記載及び同原告の供述により、上野菊雄に対する貸付利子収入四万〇六〇〇円を算定した。

仮りに、右四万〇六〇〇円が貸付利子収入と認められないとしても、そのうち三万九〇〇〇円は不動産所得を構成するものというべきである。その理由は昭和三四年分と同様である。

(3) 東日本開発に対する長期貸付利子収入について

昭和三四年分及び昭和三五年分について述べたとおり、原告幸作は昭和三四年中に東日本開発に対して一五〇万円を利率年一〇割の約定で貸し付け、昭和三六年一月一日現在の右貸付金元本額は三九万六四六九円であった。そして、同原告は、昭和三六年中に東日本開発から利息の支払いを受けていないが、利息制限法の制限利率を超えた年一〇割という利息の約定がある場合、未収利息のうち利息制限法所定の制限利率により計算した部分については課税の対象になるものである。したがって、右貸付金元本三九万六四六九円に制限利率年一割五分を乗じて、東日本開発に対する長期貸付利子収入五万九四七〇円を算定した。

(4) 東日本開発に対する短期貸付利子収入について

原告幸作は、東日本開発に対して、次表貸付月日欄及び貸付金欄記載のとおり貸付けをし、昭和三六年一二月に同社との間で同表確認利子欄記載のとおり右各貸付金に対する貸付日から右月末までの未収利息額を確認したのであるから、同表の昭和三六年分利息欄記載のとおり右各未収利息額のうち昭和三六年分の利息額を算出し、これを合計して東日本開発に対する短期貸付利子収入二〇万二〇五五円を算定した。

〈省略〉

(5) 仲介手数料収入について

原告幸作が訴外日本冷蔵株式会社(以下「日本冷蔵」という。)から昭和三六年七月七日に受領した土地売買仲介手数料六万六〇〇〇円と同年九月一五日に受領した土地造成工事土地測量委託仲介手数料四〇万二六六〇円を合算して、仲介手数料四六万八六六〇円を算定した。

(四) 譲渡所得金額 一九二万七八二五円

原告らは、昭和三六年中にその共有にかかる第一の土地(持分二分の一ずつ)を訴外有限会社丸幸(以下「丸幸」という。)に一二三万九〇〇〇円で売却したが、これは、譲渡時の価額九五七万三一七七円と比較して著しく低い価額であったから、法五条の二第二項の規定により、右譲渡時における価額で譲渡があったものとみなして譲渡所得金額を算定した。すなわち、収入金額九五七万三一七七円から取得価額一五六万一八七七円を控除した八〇一万一三〇〇円の二分の一にあたる四〇〇万五六五〇円を原告幸作に帰属するものとして算出し、右四〇〇万五六五〇円から特別控除額一五万円を控除した三八五万五六五〇円に二分の一を乗じて、譲渡所得金額一九二万七八二五円を算定した。

(原告貞子)

1 原告貞子の昭和三六年分の総所得金額は、次のとおり三四〇万六七三六円であり、更正処分後の総所得金額はこの範囲内である。

(一) 不動産所得金額 一四三万三二九一円

(二) 配当所得金額 四万五六二〇円

(三) 譲渡所得金額 一九二万七八二五円

(四) 総所得金額 三四〇万六七三六円

2 右のうち、争いのある不動産所得金額、譲渡所得金額の認定根拠は次のとおりである。

(一) 不動産所得金額 一四三万三二九一円

(1) 不動産賃料一〇六万九九一六円に更新料三六万三三七五円を加算して、不動産所得金額一四三万三二九一円を算定した。

(2) 不動産賃料一〇六万九九一六円は、原告らの共有地(持分二分の一ずつ)の地代収入三二七万四〇四七円の二分の一にあたる一六三万七〇二三円を原告貞子の収入とし、これに所得標準率七〇パーセントを乗じて一一四万五九一六円を算出し、さらに特別経費として訴訟費用三万五〇〇〇円及び雇人費四万一〇〇〇円を控除して算定した。

なお、右地代収入三二七万四〇四七円のうちには松本浩一名義の第一の土地の地代収入二〇万〇九二八円が含まれているが、これが原告らに帰属すべきものであることは、原告幸作に対する主張と同様である。

(3) 更新料についての主張は原告幸作に対するものと同様である。

(二) 譲渡所得金額 一九二万七八二五円

譲渡所得金額についての主張は原告幸作に対するものと同様である。

3 原告貞子は、法定申告期限内に昭和三六年分の確定申告書を提出しなかったので、無申告加算税の賦課を免れない。

第五被告の主張に対する原告らの認否及び反論

一  昭和三四年分の総所得金額について

(原告幸作)

1 給与所得金額六四万七六七八円が原告幸作の昭和三四年分総所得金額に含まれるべきであることは認めるが、その余は否認する。

2 不動産所得金額のうち、第一の土地が原告らの共有にかかるものであり、それゆえ右土地の地代収入二六万一一四四円が原告らに帰属するとの点は否認するが、その余は認める。

右土地は松本浩一の所有するものであり、したがって、その地代収入二六万一一四四円も同人に帰属するものである。この点は、原告貞子についてもいえることである。

3 配当所得金額のうち、本件株式が原告幸作の所有するものであり、それゆえその配当金一万六二〇〇円が同原告に帰属するとの点は否認するが、その余は認める。

本件株式は、池田りきの所有するものであったが、同人が昭和三三年に死亡したため、その相続人である松本えい、池田鋳蔵、池田銹次、池田七及び原告幸作の五名が相続により取得したものであるから、その配当金も右五名に帰属するものである。なお、右配当金は便宜上原告幸作の預金口座に入金されていたにすぎない。この点は、昭和三五年分及び昭和三六年分についてもいえることである。

4 雑所得金額について

(一) 貸付利子収入に所得標準率八七・五パーセントを適用して所得を算定することが相当であることは認める。

(二) 上野菊雄から貸付利子収入三万九〇〇〇円があったことは否認する。坂田幸太郎及び中村とみ子が被告主張の賃料で第二の土地の一部を賃借していたことは認めるが、右土地は原告幸作の所有するものではない。

右土地は正紀の所有するものであるから右賃料も同人に帰属するものである。この点は、昭和三五年分及び昭和三六年分についてもいえることである。

(三) 東日本開発に対する貸付利子収入九万〇三九九円は否認する。原告幸作が東日本開発に利息の約定の点を除き被告主張のとおりに金員を貸し付けたこと及び東日本開発が被告主張のとおり払戻しを受けたことは認める。しかし、右貸付けには利息の約定はなく、原告幸作が利息の支払いを受けたこともない。仮りに利息の約定があったとしても、東日本開発は、当時、多額の借金を負担し債務超過の状態にあって、事業活動も全くせず、利息どころか元本さえ弁済する資力がなかったのであるから、東日本開発に対する債権は貸倒れによって回収不能であったというべく、この点からも被告の主張は失当である。

(四) 不動産売買益四二六万八七七二円は否認する。原告幸作が被告主張のとおりの売買をしたこと及び必要経費として控除すべき手数料が取得価額と売却価額との合計額の五パーセント相当額であることは認めるが、右売買による所得が雑所得を構成するとの認定は誤りである。

すなわち、被告がその根拠としてあげているところは、要するに、原告幸作が明石商事株式会社の不動産部長の地位にあること、取引の経緯、代金授受の状況等であるが、原告幸作の地位といったところで、明石商事株式会社は日本冷蔵株式会社の子会社で、同原告はたまたまその不動産部門の責任者的地位にあったというにすぎず、また、取引の経緯、代金授受の状況等というだけではあまりにも抽象的であるから、このことをもって右取引行為を営利を目的とした継続的行為というのはあたらない。原告幸作はこれまで個人の資格で不動産取引をしたことはなかったのであるから、被告の主張は失当であるといわなければならない。したがって、右取引行為による所得は譲渡所得とみるべきである。

(原告貞子)

1 配当所得金額二万〇三一〇円が原告貞子の昭和三四年分総所得金額に含まれるべきであることは認めるが、その余は否認する。

2 不動産所得金額についての認否は原告幸作と同様である。

3 原告貞子が法定申告期限内に昭和三四年分の確定申告書を提出しなかったことは認める。

二  昭和三五年分の総所得金額について

(原告幸作)

1 給与所得金額六二万九四五六円が原告幸作の昭和三五年分総所得金額に含まれるべきであることは認めるが、その余は否認する。

2 名義書換料二万五〇〇〇円が不動産所得金額に含まれるべきであることは認める。不動産賃料のうち、第一の土地が原告らの共有にかかるものであり、それゆえ右土地の地代収入二六万一一四四円が原告らに帰属するとの点は昭和三四年分について述べたと同じ理由により否認するが、その余は認める。

3 配当所得金額のうち、本件株式が原告幸作の所有するものであり、それゆえその配当金三万二四〇〇円が同原告に帰属するとの点は昭和三四年分について述べたと同じ理由により否認するが、その余は認める。

4 雑所得金額について

(一) 東日本開発に対する短期貸付利子収入一〇万一二二一円があったこと、貸付利子収入に所得標準率八七・五パーセントを適用して所得を算定することが相当であること、雑収入一〇万五三九六円が雑所得金額に含まれるべきであることは認める。

(二) 上野菊雄に対する貸付利子収入についての認否、反論は昭和三四年分と同様である。

(三) 東日本開発に対する長期貸付利子収入五三万一二〇八円は否認する。原告幸作が昭和三四年中に東日本開発に対して一五〇万円を貸し付けたことは認めるが、右貸し付けには利息の約定がなかったものである。また、昭和三五年一月一日現在の右貸付金元本額が一五〇万円であったこと並びに被告の主張(ア)ないし(エ)は否認する。

原告幸作は、第四、第五の土地を代物弁済として取得したのではなく、売買契約により買い受けたものであり、売買代金もすでに全額支払済である。それゆえ、右土地の取得により前記貸付金の利息が支払われ、さらに、利息制限法所定の制限利率を超える部分については元本に充当すべきであるとの被告の主張は誤りである。原告幸作は全く弁済を受けていないのであって、当初の貸付金は全額未回収として残存している。また、東日本開発に対する債権が貸倒れによって回収不能であったとの点は昭和三四年分について述べたとおりである。

(四) 不動産売買益一一〇万六三七五円は否認する。原告幸作が被告主張のとおりの売買をしたこと及び必要経費として控除すべき手数料が取得価額と売却価額との合計額の五パーセント相当額であることは認めるが、右売買による所得が雑所得を構成するとの認定は誤りである。右所得は譲渡所得を構成すべきものであり、その理由は昭和三四年分について述べたところと同様である。

5 一時所得金額について

第七の土地がかつて房次郎の所有であったが、これについて被告主張のとおりの各登記が経由されたこと、大和不動産が同族会社であること、房次郎が被告主張の日に死亡し、原告らが相続したこと、右土地の昭和三五年一〇月ころの時価が四六〇五万三五二五円であったこと、三井由春外四名が大和不動産を被告として解散命令の申立てをしたことは認めるが、その余の点は争う。

原告ら及び大和不動産が第七の土地につき被告主張の売買契約及び合意解除がされたかのような形式を装い、その旨の登記を了したことはあるが、これはいずれも実体を伴わない虚偽のものである。すなわち、原告幸作は昭和二六年ころ訴外安西敏雄から二一四万九二二三円を借り受けるにあたって、同人との間で次のような約束をした。(ア)原告幸作は右借入金の担保として房次郎所有の第七の土地を提供すること、(イ)担保提供の方法は原告幸作が右土地の管理会社を設立し、安西が同会社を管理するものとすること、(ウ)右貸付金の元金及び利息は右土地の地代をもってこれに充てること。(エ)右貸付金の元利金が完済されたときは安西は同会社の管理権を放棄すること。

そこで、原告幸作は、右約束に従い大和不動産を設立し、房次郎に無断で右借受金をあたかも売買代金であるかのようにして房次郎と大和不動産との間で被告主張の売買契約がなされたかのような形式をとり、房次郎の死亡後にその旨の所有権移転登記手続もしたのである。なお、安西からの借受人名義は大和不動産となっているのが、それは同会社と房次郎間に売買契約がなされたとの形式を整えるためにされたにすぎず、また、右売買契約はいずれも原告幸作が勝手に房次郎名義又は房次郎代理人池田鍵一名義を使用してしたものである。

したがって、右売買契約は、真実所有権移転の意思をもってされたものでないうえ、第七の土地につきなんら処分権限を有しない原告幸作が勝手にしたものであるから、無効であり、大和不動産が右土地の所有権を取得するものではない。したがってまた、右の売買契約の合意解除ということも本来する必要のないものであった。現に、原告幸作は右借受金を完済した昭和三三年以降は右土地の登記簿上の所有名義を房次郎の相続人たる同原告及び原告貞子に移転する準備をしていたのであるが、被告主張のとおり三井由春らが大和不動産は相続税を脱税するため設立された会社であるとして裁判所に解散命令の申立てをしたので、原告幸作は、その審理の過程で、同会社がなんら実体のない会社であり、右土地の売買契約も房次郎の死亡直前にされていることから、同会社が相続税脱税のために設立されたものと認定され、また、右土地につき前記売買契約の形式が仮装された経緯とか、死亡した房次郎を登記申請人として登記手続をしたこと等が明らかとなり、解散命令を受けることは必至であると考え、真実の所有者である原告らの所有名義に戻すために、急遽、合意解除という形式を整えたものである。

このように、右土地の所有権はもともと大和不動産に移転していないのであるから、原告幸作、同貞子が同会社からその土地の返還を受けるということもありえないことであるが、既に売買契約という形式が存在し、その旨の登記も完了していたので、形式を整えるため合意解除という形式をとったまでである。

被告は、同族会社の行為計算の否認を主張するが、同族会社の行為計算で否認できる場合は、法令上の具体的な課税要件事実についての実質的理解という面から十分首肯しうる場合に限られるべきである。しかるところ、本件においては、前示のとおり実際に財貨の移転がなく、ただ法形式として売買契約及びその合意解除という形式がとられているにすぎず、しかも、被告においてもその経緯を十分了知していたのである。

したがって、被告が右合意解除を目して経済的、実質的には右土地につき売買がなされたと同様な効果が発生したとしているのは誤りもはなはだしい。

(原告貞子)

1 配当所得金額二万一五八〇円が原告貞子の昭和三五年分総所得金額に含まれるべきであることは認めるが、その余は否認する。

2 不動産所得金額及び一時所得金額についての認否、反論は原告幸作と同様である。

3 原告貞子が法定申告期限内に昭和三五年分の確定申告書を提出しなかったことは認める。

三  昭和三六年分の総所得金額について

(原告幸作)

1 給与所得金額六八万八〇〇〇円が原告幸作の昭和三六年分総所得金額に含まれるべきであることは認めるが、その余は否認する。

2 不動産所得金額について

(一) 不動産賃料のうち、第一の土地が原告らの共有にかかるものであり、それゆえ右土地の地代収入二〇万〇九二八円が原告らに帰属するとの点は昭和三四年分について述べたと同じ理由により否認するが、その余の点は認める。

(二) 更新料のうち、興産信用金庫から収受した額が五二万六七五〇円であったことは否認するが、その余は認める。興産信用金庫から収受した更新料は一一万二八七五円であった。

3 配当所得金額のうち、本件株式が原告幸作の所有するものであり、それゆえその配当金三万八九一三円が同原告に帰属するとの点は昭和三四年分について述べたと同じ理由により否認するが、その余は認める。

4 雑所得金額について

(一) 手形割引手数料収入六万五〇五五円があったこと、各収入の雑所得金額を算定するにつき被告主張の所得標準率を適用するのが相当であることは、認める。

(二) 上野菊雄に対する貸付利子収入についての認否、反論は昭和三四年分と同様である。

(三) 東日本開発に対する長期貸付利子収入五万九四七〇円は否認する。原告幸作が昭和三四年中に東日本開発に対して一五〇万円を貸し付けたことは認めるが、右貸付けには利息の約定がなかったものである。また、昭和三六年一月一日現在の右貸付金元本額が三九万六四六九円であったことは否認する。

原告幸作が利息の支払いを受けたことはなく、また、東日本開発に対する債権が貸倒れによって回収不能であったことは、昭和三四年分について述べたとおりである。

(四) 東日本開発に対する短期貸付利子収入二〇万二〇五五円は否認する。原告幸作が東日本開発に対して被告主張のとおり貸付けをしたことは認めるが、その余は否認する。右貸付けには利息の約定がなかったものである。また、東日本開発に対する債権は貸倒れによって回収不能でもあった。

(五) 仲介手数料収入四六万八六六〇円は否認する。

5 譲渡所得金額のうち、第一の土地が原告らの共有にかかるとの点は否認する。右土地は、不動産所得金額について述べたとおり、松本浩一の所有するものである。その余の点は認める。

(原告貞子)

1 配当所得金額四万五六二〇円が原告貞子の昭和三六年分総所得金額に含まれるべきであることは認めるが、その余は否認する。

2 不動産所得金額及び譲渡所得金額についての認否は原告幸作と同様である。

3 原告貞子が法定申告期限内に昭和三六年分の確定申告書を提出しなかったことは認める。

第六証拠

一  原告ら

1  甲第一、第二号証、第四ないし第七号証、第八号証の一、二、第九号証の一ないし七、第一〇号証の一ないし四、第一一ないし第一三号証、第一四号証の一、二、第一五号証、第一六号証の一ないし三、第一七号証(第三号証は欠番)

2  証人池ノ内春治、同木暮勝利、同安西敏雄の各証言及び原告幸作本人尋問の結果。

3  乙第一号証の一、二、第二号証、第三号証の一、二、第六号証の一、二、第七ないし第一〇号証、第一九ないし第二四号証、第四一、第四二号証、第六一号証、第六三号証、第六五、第六六号証、第九四、第九五号証の成立は不知、その余の乙号各証の成立(第一五ないし第一八号証、第二五ないし第四〇号証、第七八ないし第八二号証については原本の存在並びに成立)は認める。

二  被告

1  乙第一号証の一、二、第二号証、第三号証の一、二、第四号証、第五、第六号証の各一、二、第七ないし第一〇号証、第一五ないし第五一号証、第五四ないし第五六号証、第六一ないし第九五号証(第一一ないし第一四号証、第五二、第五三号証、第五七ないし第六〇号証は欠番)

2  証人黒柳熊夫、同菊池衛、同池ノ内春治、同小林守の各証言

3  甲第一号証、第四号証、第七号証、第一〇号証の一、第一一ないし第一三号証、第一四号証の一、二の成立(第一〇号証の一については原本の存在並びに成立)は認める。甲第一七号証のうち、官公署作成部分の成立は認め、その余の部分の成立は不知。その余の甲号各証の成立は不知。

理由

一  請求原因一、二は当事者間に争いがない。

二  本件の争点は、係争各年を通じ多岐にわたっているが、各年分に共通する争点はほぼ次の五点に要約することができる。

1  第一の土地に関する地代収入の帰属

2  本件株式の配当金の帰属

3  上野菊雄に対する貸付利子収入の有無

4  東日本開発に対する長期貸付利子収入の有無

5  本件不動産売買益の所得分類

そこで、以下においては、まず右の各点について検討したうえ、係争各年ごとの総所得金額の算定をみることとする。

1  第一の土地に関する地代収入の帰属について

第一の土地はかって原告らの養父房次郎の所有であったが、昭和二七年一月三一日房次郎から松本浩一に所有権移転登記が経由されていることは、当事者間に争いがない。

成立に争いのない甲第一一号証、原本の存在と成立に争いのない乙一六ないし第一八号証、第二五ないし第三九号証、証人黒柳熊夫の証言により成立を認める乙第一号証の一、第二号証、弁論の全趣旨により成立を認める乙第一号証の二、証人菊池衛の証言により成立を認める乙第一九ないし第二四号証、証人黒柳熊夫の証言、原告幸作本人尋問の結果(一部)を総合すると、第一の土地は、房次郎が所有していた当時から一〇名位の貸借人に賃貸されていたが、房次郎が死亡した昭和二七年一月三日前後から賃貸借契約書の名宛人が原告幸作となっており、賃借人らは、第一の土地についての地代を原告幸作方に持参し、あるいは原告幸作の銀行預金口座に振り込むことによって同原告に支払い、その都度、表紙に大河原幸作と記載されている領収帳の各月の欄に大河原名義の領収印を受けていたこと、地代増額の交渉もすべ原告幸作が行っていたこと、右のような事情から賃借人らはいずれも原告幸作が地主であると考えていたこと、原告幸作の甥松本浩一は第一の土地のことについてはなにも知らず、同土地に関する固定資産税徴収令書が送付されてくると原告幸作からいわれたとおりその都度これを同原告に届けていただけであること、原告幸作は、昭和三六年に松本浩一の妻とよ子から必要書類の交付を受けて第一の土地の登記名義を松本浩一から丸幸(代表取締役は同原告の妻原告貞子)に移転する手続をしたものの、その後も、昭和四〇年前後から領収書の発行名義が右丸幸に変更されただけで、自ら地代を受領する等従前の取扱いには変化はなかったことが認められる。

原告らは、第一の土地は松本浩一が所有していたものであると主張し、原告幸作本人尋問の結果中には房次郎が右土地を松本浩一の妻とよ子に売却し名義のみ夫の浩一としたとの供述部分があり、甲第一六号証の一ないし三には松本浩一が右土地の所有者としてこれを丸幸に売却し代金を受領したかの如き記載もあるが、前掲乙第一号証の一、二と前示認定の事実関係に照らせば、原告らの主張に添う右各証拠は採用のかぎりでない。また、甲第一七号証の松本浩一から原告らに宛てた内容証明郵便もその趣旨不明であり証拠としがたい。

そうすると、他に特段の証拠のない本件においては、第一の土地についての松本浩一名義の前記登記は実体を伴わない虚偽のものであって、原告らが昭和二七年一月三日に房次郎から相続によってこれを取得し前記のとおり賃貸していたものと認めるのが相当である。それゆえ、右土地についての地代収入も、特段の事情のない限り、原告らに平等の割合で帰属するものというべきである。

2  本件株式の配当金の帰属について

前掲乙第二号証、原本の存在と成立に争いのない乙第一五号証、証人黒柳熊夫の証言、原告幸作本人尋問の結果(一部)に弁論の全趣旨を総合すると、本件株式の名義人であった池田りき(本件株式が池田りき名義であったことは当事者間に争いがない。)は、原告幸作の実母であって同原告の居宅(杉並区高円寺)とは異なる杉並区和田本町にあった同人の長男池田鋳蔵方に居住していたものであるが、本件株式の株主名簿の株主欄には、「杉並区高円寺六-六五七大河原幸作方池田りき」と記載されていたこと、池田りきは昭和三三年に死亡したが、その前後を通じ、本件株式の配当金受領通知書は一貫して原告幸作方に送付されており、同原告が自ら右通知書を自己の取引銀行に持参してその預金口座を利用して換金していたことが認められる。

原告幸作は、本件株式は池田りきが所有していたものであって、同人の死亡後はその五人の相続人が共同して相続したものであると主張し、同原告本人尋問の結果中には、同原告は配当金受領通知書が送付されてくる都度同原告方に訪れる池田りきに対して手持ちの資金のなかから配当金相当額を渡し、同人死亡後は自己の取引銀行で配当金を引き出してこれを相続人の一人池田鋳蔵に持参していたとの供述部分があるが、これは、不自然の感を免れず採用することができない。

そうすると、他に原告の右主張を首肯しうる事情の窺われない本件においては、前示認定事実により、本件株式は原告幸作の所有にかかるものであると認めるのが相当である。それゆえ、本件株式の配当金も、特段の事情のない限り、原告幸作に帰属するものというべきである。

3  上野菊雄に対する貸付利子収入の有無について

原告幸作に上野菊雄からの貸付利子収入があったことは、本件全証拠によるも認めることはできない。

そこで、被告が予備的に主張する第二の土地についての地代収入があったか否かを判断する。

原本の存在と成立に争いのない乙第四〇号証によれば、原告幸作は昭和三一年一二月一八日に上野菊雄の子智章から第二の土地を買い受けたことが認められ、また、右第二の土地が本件係争各年当時坂田幸太郎及び中村とみ子に賃貸されていたことは当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨により成立を認める乙第七号証、証人小林守の証言により成立を認める乙第九四号証とこれにより成立を認める乙第八号証、証人菊池衛の証言により成立を認める乙第四一号証によれば、右坂田及び中村は終始一貫して第二の土地についての地代(坂田が年額二万四〇〇〇円、中村が年額一万五〇〇〇円)を原告幸作に支払っており、その領収書も同原告名義で発行されていたが、昭和四〇年ころに至り突如後記正紀名義に変更されたことが認められる。

原告幸作は、右土地は原告幸作の三男正紀が昭和三一年に上野智章から買い受けたものであると主張し、これに添う同原告本人尋問の結果中にはその資金は右正紀が昭和二四年ころ購入した中野区弥生町の土地の一部を売却して得た代金を充てたとの供述部分があり、成立に争いのない甲第一四号証の一、二によれば右弥生町の土地につき昭和二四年三月一七日に売買を原因として正紀に対して所有権移転登記が経由されていることが認められる。しかし、右本人尋問の結果によれば、正紀は、右弥生町の土地を購入したという昭和二四年当時は満九歳であり、第二の土地を買い受けたという昭和三一年当時は満一六歳であったことが認められるところ、原告幸作は、弥生町の土地の購入資金源について明確な供述をすることができず、また、右土地の売却代金についての供述も極めて曖昧であって、この点に関する同原告本人尋問の結果は措信することができない。さらに、第二の土地についての売買契約書として提出された甲第一五号証の買主欄には、「正紀代大河原幸作」又は「大河原正紀代大河原幸作」と記入され、あたかも買主が正紀であるかの如き記載があるが、同号証を前掲乙第四〇号証と対照すると、右の「正紀代」及び「大河原正紀代」との記載は当初の契約書にはなく、後日書き加えられたものであることが窺われるのであり、右甲第一五号証も採用のかぎりではない。また、成立に争いのない甲第一号証、原告幸作本人尋問の結果によれば、第二の土地について昭和三八年三月八日に上野智章から正紀に対して売買を原因とする所有権移転登記が経由されていることが認められるが、前述の事情を考慮すれば、右登記が経由されているとの一事をもって右土地を正紀が取得したものと推認するのは相当でない。他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。

してみると、第二の土地は、原告幸作が所有し自らこれを前記坂田及び中村に賃貸していたものと認めるべきであるから、特段の事情のない本件においては、その地代収入はすべて原告幸作に帰属するものというべきであり、これは同原告の不動産所得を構成することになる。

4  東日本開発に対する長期貸付利子収入の有無について

原告幸作が東日本開発に対して昭和三四年七月二一日及び同年九月一日の二回に亘って合計一五〇万円を被告の主張する(ア)ないし(エ)の特約で貸し付けたことは当事者間に争いがなく、証人池ノ内春治の証言により成立を認める乙第四二号証、同号証により成立を認める乙第六号証の一、二(右乙第四二号証の別添1と同じもの)、同証言、証人黒柳熊夫、同菊池衛の各証言によれば右貸付けにあたり利息年一〇割の約定が結ばれたことが認められる。被告は、昭和三四年分についての主張において、右利息の約定が貸付額一五〇万円に対するものではなく、東日本開発が前記特約に基づき住友銀行新宿支店の普通預金から払戻しを受けた額に対するものであるかの如くに主張し(被告の主張(オ))、証人池ノ内春治の証言中にも一部同趣旨の供述がみられるが、前掲各証拠と対比して採用することができず、また、利息の約定が全くなかった旨の原告幸作本人尋問の供述部分も措信しない。

原告幸作は、東日本開発が事実上の倒産状態に陥り右貸付金債権は貸倒れによって回収不能であったから、その利息も所得を構成しないと主張する。しかし、証人池ノ内春治の証言によれば宅地の造成や不動産売買及びその仲介等を行っていた東日本開発(代表取締役池ノ内春治)は、昭和三四年ころから事業が不振となり赤字が累積する苦しい経営状態になったが、本件係争年当時からその後にかけて会社自体は事実上も消滅することなく存続し、毎年税金も納付し、小人数の事務員を雇って細々とではあるが活動を継続していたことが認められ、これに反する原告幸作本人尋問の結果は措信しない。この事実に後に認定するとおり東日本開発が昭和三五年にその所有の土地をもって原告幸作に対する前記借入金債務の代物弁済をしたことをも併せ考えると、本件係争年において前記貸付金債権が回収不能の状態にあったということはできず、甲第四号証も右認定を妨げるものではない。この点の原告幸作の主張は失当である。

ところで、右年一〇割の利息の約定は利息制限法所定の制限利率を超えるものであるところ、借主が当初の約定に従い現実に制限超過の利息の支払いをし、貸主がこれを収受した場合は、制限超過部分をも含めて、右現実に収受された利息の全部が課税の対象となるべき所得にあたるがその支払いが未了の場合には、約定の利息のうち、法定の制限内の部分のみが課税の対象となるべき所得にあたり、制限超過の部分はこれにあたらないものである(最高栽判所昭和四六年一一月九日第三小法廷判決・民集二五巻八号一一二〇頁参照)。

そこで、各年分ごとの貸付利子収入額をみることとする。

(一)  昭和三四年分

原告幸作が昭和三四年中に東日本開発から前記一五〇万円につき元本の弁済及び利息の支払いを受けなかったこと、東日本開発が住友銀行新宿支店から被告主張のとおり合計一二五万円の払出しを受けたことについては、当事者間に争いがない。そうすると、課税の対象となるべき利息は、一五〇万円に対する利息制限法所定の制限利率による金額であるが、被告はこれを右各払戻額を基礎として同原告に有利に計算しているので、これに従うと被告主張のとおり九万〇三九九円となる。

(二)  昭和三五年分

前記のとおり、東日本開発が昭和三四年中には借入金一五〇万円の弁済をしなかったので、昭和三五年一月一日現在の元本額は一五〇万円であったところ、前掲乙第六号証の二、第四二号証、証人池ノ内春治の証言により成立を認める甲第五号証、同証言によれば、東日本開発は昭和三五年三月一三日原告幸作に対して同社所有の第四の土地を右貸付金一五〇万円についての昭和三五年一月一日から同年三月三一日までの利息一三万九〇〇〇円、同年四月一日から同年六月三〇日までの利息一六万一〇〇〇円及び貸付金元本のうち六五万一四〇〇円の代物弁済として譲渡し(右土地は一〇五万一四〇〇円と評価して譲渡されたが、うち一〇万円は東日本開発が現金で受領したので、残額が代物弁済額となった。)さらに、同年五月三〇日同社所有の第五の土地を利息二〇万一四〇〇円及び元本一一万八六〇〇円の代物弁済として譲渡したことが認められる。原告幸作本人尋問の結果中には、第四、第五の土地は代物弁済として譲渡を受けたのではなく、通常の売買契約によって取得したものであるとの供述部分があり、乙第四二号証の別添2及び5の書面は形式上これに添うものであるが、これらは前掲各証拠に照らして採用することができない。

そうすると、原告幸作は利息として五〇万一四〇〇円(一三万九〇〇〇円、一六万一〇〇〇円、二〇万一四〇〇円の合計額)を現実に収受した以上、利息制限法による制限を超える部分をも含めてその全額が課税の対象となるものである。

ところで、右五〇万一四〇〇円のうち法定の制限利率を超える部分は、私法上は既に発生している未払利息及び元本に充当されるものであるから、これをまず昭和三四年分の前記未払利息九万〇三九九円に充当し、次いで元本に充当し、また、前認定の元本への弁済をも考慮して被告主張の方法により計算すると(被告の主張する計算方法は合理的なものと認められる。)昭和三五年六月三〇日現在の残存元本額は被告主張のとおり三九万六四六九円となる(なお、昭和三四年分の正当な未払利息額は、一五〇万円に対する法定の制限利率による金額であるが被告は、前記のとおり原告幸作に有利に少なく主張しているので、これに従うことにする。)そして、その後には弁済がなされなかったことは当事者間に争いがないのであるから、右三九万六四六九円に対する昭和三五年七月一日から同年一二月三一日までの法定利率による未収利息は被告主張のとおり二万九八〇八円となり、これもまた、昭和三五年分の所得として課税の対象となる。

結局、右二万九八〇八円と前記五〇万一四〇〇円を加算すると、昭和三五年分の東日本開発に対する長期貸付利子収入は五三万一二〇八円となる。

(三)  昭和三六年分

前認定のとおり昭和三六年一月一日現在の貸付金元本は三九万六四六九円であり、東日本開発が昭和三六年中に利息の支払いをしなかったことは当事者間に争いがない。そうすると、課税の対象となる法定利率による未収利息額は被告主張のとおり五万九四七〇円となる。

5  本件不動産売買益の所得分類について

原告幸作が昭和三一年一一月三〇日小島吉五郎から第三の土地を含む田畑等を買い受け昭和三四年一二月七日第三の土地(取得価額三二万一八六二円)を小田急電鉄に四六万六二八〇円で売却し、また、昭和三二年九月瀬田幾次郎から本件家屋を三五万円で買い受け昭和三四年四月一五日広瀬隆子に六三万円で売却し、さらに、昭和三五年一月五日海老沢靏太郎から第六の土地を二四五万円で買い受け同年二月一〇日清水弥太郎に三八七万二五〇〇円で売却したことは、当事者間に争いがない。

原告幸作本人尋問の結果(一部)によれば、原告幸作は右争いのない不動産取引を行った当時訴外明石商事株式会社の不動産部長であって、仕事の性質からも不動産取引の実情に精通していたこと及び第三、第六の土地、本件家屋は、おおむね転売することによってその譲渡益分を利得すをために自己の手持資金を投じて買い受けたものであることが認められる。

ところで、証人黒柳熊夫の証言中には、原告幸作が当時右争いのない不動産取引のほかにも一〇件を下らない数の土地の転売をしていたとの供述部分があるが、具体性及び客観的裏付けを欠くうえ、本件係争各年を通じて右転売による所得がいずれも課税の対象とされていないことをも勘案すれば、右の供述部分はにわかに採用しがたいものがある。しかしながら、前記4で認定したとおり原告幸作は、東日本開発から長期貸付金の代物弁済として、昭和三五年三月一三日に第四の土地を、同年五月三〇日に第五の土地をそれぞれ取得したものであるが、成立に争いのない乙第九一ないし第九三号証によれば、第四の土地は昭和三五年四月二二日に、第五の土地は同年八月二日にいずれも有限会社鶴川農園に対して売買を原因として所有権移転登記が経由されたことが認められ、右登記の日の直前に原告幸作がこれらの土地を取得していたことを考えれば、特段の反証のない本件においては、原告幸作が登記の日に右鶴川農園に対して第四、第五の土地を売却したものと推認される。

そうすると、原告幸作は約二年の間に五回の不動産の売却をしていることになり、前記認定の同原告の地位、経験等をも併せ考えると、前記争いのない不動産取引はいずれも営利を目的とする継続的行為(法九条一項八号かつこ書)であると認めるのが相当であり、右認定に反する原告幸作本人尋問の結果は採用しない。

したがって、右不動産取引から生じた不動産売買益は譲渡所得ではなく雑所得に分類されるべきものであり、その所得金額を算出するにあたり必要経費として控除すべき手数料が取得価格と売却価額との合計額の五パーセント相当額であることについては当事者間に争いがないから、雑所得を構成すべき不動産売買益は被告主張のとおり昭和三四年分が四二六万八七七二円、昭和三五年分が一一〇万六三七五円となる。

三  昭和三四年分の総所得金額

(原告幸作)

1  給与所得金額

総所得金額に含まれるべき給与所得金額が六四万七六七八円であることについては当事者間に争いがない。

2  不動産所得金額

前記二1で認定したとおり第一の土地についての地代収入は原告らに帰属するものであり、他の点については当事者間に争いがない。そして、第二の土地についての地代収入三万九〇〇〇円が原告幸作の不動産収入に加算されるべきことは前記二3で認定したとおりである。そうすると被告の主張する地代収入五七万〇七三二円に右三万九〇〇〇円を加算した六〇万九七三二円に所得標準率七〇パーセントを乗ずると(本件の不動産所得金額を算定するにあたり所得標準率七〇パーセントを適用するのが相当であることは当事者間に争いがない。この点は以下においてすべて同様である。)、不動産所得金額は四二万六八一二円となる。

3  配当所得金額

前記二2で認定したとおり本件株式の配当金は原告幸作に帰属するものであり、他の点については当事者間に争いがない。そうすると、配当所得金額は、被告主張の三万九二四〇円を下らぬ額となる。

(4) 雑所得金額

(一) 被告は上野菊雄に対する貸付利子収入三万九〇〇〇円があったと主張するが、前示のとおりこれは不動産収入を構成するものである。

(二) 前記二4で認定したとおり東日本開発に対する長期貸付利子収入は被告主張の九万〇三九九円を下らない。したがって、これに所得標準率八七・五パーセントを乗ずると(本件の貸付利子収入にかかる所得金額を算定するにあたり所得標準率八七・五パーセントを適用するのが相当であることは当事者間に争いがない。この点は以下においてすべて同様である。)、所得金額は七万九〇九九円となる。

(三) 前記二5で認定したとおり第三の土地及び本件家屋の転売に伴う不動産売買益は雑所得を構成するものであり、その金額は四二六万八七七二円である。

(四) 右(二)(三)を合算すると、雑所得金額は四三四万七八七一円となる。

(原告貞子)

1  不動産所得金額

前記二1で認定したとおり第一の土地についての地代収入は原告らに帰属するものであり、他の点については当事者間に争いがない。そうすると、不動産所得金額は、被告主張のとおり三一万九二一七円となる。

2  配当所得金額

総所得金額に含まれるべき配当所得金額が二万〇三一〇円であることについては当事者間に争いがない。

3  原告貞子が法定申告期限内に昭和三四年分の確定申告書を提出しなかったことは当事者間に争いがないので、同原告は無申告加算税の賦課を免れない。

四  昭和三五年分の総所得金額

(原告幸作)

1  給与所得金額

総所得金額に含まれるべき給与所得金額が六二万九四五六円であることについては当事者間に争いがない。

2  不動産所得金額

(一) 前記二1で認定したとおり第一の土地についての地代収入は原告らに帰属するものであり、不動産賃料に関する他の点については当事者間に争いがない。そして、第二の土地についての地代収入三万九〇〇〇円が原告幸作の不動産収入に加算されるべきことは前記二3で認定したとおりである。そうすると、被告の主張する地代収入一〇八万一七八五円に右三万九〇〇〇円を加算した一一二万〇七八五円に所得標準率七〇パーセントを乗じた七八万四五四九円から特別経費一三万二〇〇〇円を控除すると、不動産賃料は六五万二五四九円となる。

(二) 右不動産賃料六五万二五四九円に当事者間に争いのない名義書換料二万五〇〇〇円を加算すると、不動産所得金額は六七万七五四九円となる。

3  配当所得金額

前記二2で認定したとおり本件株式の配当金は原告幸作に帰属するものであり、他の点については当事者間に争いがない。そうすると、配当所得金額は、被告主張の五万一五三〇円を下らぬ額となる。

4  雑所得金額

(一) 被告は上野菊雄に対する貸付利子収入三万九〇〇〇円があったと主張するが、前示のとおりこれは不動産収入を構成するものである。

(二) 前記二4で認定したとおり東日本開発に対する長期貸付利子収入は五三万一二〇八円である。したがって、これに当事者間に争いのない東日本開発に対する短期貸付利子収入一〇万一二二一円を加算した六三万二四二九円に所得標準率八七・五パーセントを乗ずると所得金額は五五万三三七五円となる。

(三) 前記二5で認定したとおり第六の土地の転売に伴う不動産売買益は雑所得を構成するものであり、その金額は一一〇万六三七五円である。

(四) 雑所得を構成する雑収入一〇万五三九六円があったことは当事者間に争いがない。

(五) 右(二)(三)(四)を合算すると、雑所得金額は一七六万五一四六円となる。

5  一時所得金額

成立に争いのない甲第七号証、第一一ないし第一三号証、乙第四六ないし第四九号証、第五四号証、原本の存在及び成立に争いのない甲第一〇号証の一、証人木暮勝利の証言により成立を認める甲第八号証の一、二、証人安西敏雄の証言により成立を認める甲第一〇号証の二、弁論の全趣旨により成立を認める甲第一〇号証の三、原告幸作本人尋問の結果により成立を認める甲第一〇号証の四、証人木暮勝利(一部)、同安西敏雄(一部)、同黒柳熊夫の各証言、原告幸作本人尋問の結果(一部)及び弁論の全趣旨を総合すると、次の(一)ないし(五)の事実を認めることができる。

(一) 房次郎(明治九年八月七日生)は、第七の土地を含む杉並区一帯の土地を所有する大地主であり、これらの土地を多数の貸借人に賃貸していた者であるが、昭和二七年一月三日に死亡し養子の原告らが右房次郎所有の財産を相続した(房次郎が第七の土地を所有していたこと、同人の右死亡により原告らが相続したことは、当事者間に争いがない。)。

(二) 原告幸作は、右房次郎の死亡に先だって昭和二六年九月二七日に右土地の管理、運用を唯一の目的として同族会社である大和不動産を設立し、代表取締役には原告貞子の弟訴外山本秀夫が就任したもののこれは名目だけにとどまり、その事実上の主宰者は原告幸作であった。そして、大和不動産は、昭和二六年一〇月一三日及び同年一一月二日の二回に亘って房次郎から右第七の土地を二一四万九一九六円で買い受け、昭和二七年一月二三日にその所有権移転登記を経由した(大和不動産が同族会社であること、第七の土地につき右のとおり所有権移転登記が経由されたことは、当事者間に争いがない。)。

(三) 大和不動産が右土地の所有権を取得した後も、同社の事実上の主宰者である原告幸作が地代の収受やその増額交渉等の事務に従事していたところ、同原告のたび重なる地代値上げや更新料支払いの要求を受けた賃借人の一部は、大和不動産が専ら右土地についての原告らの相続税を免れるために設立されたものではないかとの疑惑をいだいたこともあって同原告に対する感情を悪化させ、昭和三五年六月三日大和不動産はなんら実体を伴わないものであるとの理由で静岡地方栽判所沼津支部(大和不動産の登記簿上の本店所在地は伊東市であった。)に対して同社の解散命令を求める申立てをした。そこで、大和不動産は、右事件につき弁護士木暮勝利に訴訟委任をして抗争したが、訴訟が進行するにしたがって、同社が実体のない会社であると認定され栽判所から解散命令を受けるのは必至となったので、そうすれば代々大河原家の財産であった右土地が清算手続によって第三者の手に渡ってしまうのでないかと危惧し、昭和三五年九月ころ原告幸作、木暮弁護士、大和不動産の当時の代表取締役市島徹太郎らが集まって善後策を協議した結果、木暮弁護士のすすめに従い、房次郎の相続人である原告らと大和不動産との間で右土地についての前記売買契約を合意解除してその所有権を原告らに移し、その後に大和不動産が自ら解散してしまうことが最良の解決策であるということになった。その際、原告幸作らは右合意解除に伴う税負担を懸念しこのことが話題にのぼったものの、木暮弁護士から税が課せられるはずはないと指摘されたことにより、結局、同弁護士の助言に従うことに落ちついた(大和不動産が解散命令の申立てを受けたことは当事者間に争いがない。)。

(四) 大和不動産と原告らは、右協議結果に基づき、昭和三五年一〇月六日に当時時価が四六〇五万三五二五円であった右土地についての前記(二)の売買契約を、右時価の値上り分についてなんらの代償措置も講ずることなく合意解除し、返還すべき代金額を二一四万九二二三円と取り決め(これは前記売買代金額と一致しないが、双方の誤解によるものである。)、同月一一日に大和不動産の所有権移転登記の抹消登記をしたうえ、原告らにおいて房次郎からの相続を登記原因とする所有権移転登記(持分二分の一ずつ)を経由した。その後、大和不動産は、当初の予定どおり昭和三五年一〇月一四日に自ら解散し、同月二一日にその旨の登記を了したので、前記解散命令申立事件は申立ての取下げによって終了した(右土地の昭和三五年一〇月当時の時価が四六〇五万三五二五円であったこと、右土地について所有権移転登記の抹消登記と相続登記がされたことは、当事者間に争いがない。)。

(五) 原告らは、右合意解除が行われた当時の大和不動産の社員池田鍵一と親族の関係(右池田は原告幸作の甥)にあった。

原告らは、原告幸作が昭和二六年ころ安西敏雄から金員の借入れをするにあたって、その弁済を確実なものとするために、右土地の管理会社である大和不動産を設立し安西がこれを管理して地代を収受することによって右借入金の弁済に充てることにしたものであるから、房次郎と大和不動産との間の右土地の売買契約はなんら実体の伴わない仮装のものであり、それゆえ右売買契約の合意解除も本来する必要がなく、ただ、房次郎を相続して真実の所有者となった原告らに所有名義を戻すための便法として合意解除をしたものであると主張し、証人安西敏雄の証言及び原告幸作本人尋問の結果中には一部これに符号する部分があるが、これは、前掲甲第一〇号証の一の原告幸作が大和不動産の昭和三五年一月一日から同年一〇月一四日までの事業年度の法人税について右合意解除の否認を主たる理由として受けた更正処分について税務当局に提出した上申書に記載されている同原告自身の主張や前記解散命令申立事件その他本件土地に関する別件の訴訟における原告らの主張(成立に争いのない乙第五四ないし第五六号証、第七四ないし第七七号証)とも一貫せず、その内容が曖昧かつ不自然であって、措信することができない。また、証人木暮勝利の証言中、右認定に反する供述部分も措信しない。他に以上の認定を左右するに足りる証拠はない。

以上の事実によれば、同族会社である大和不動産は、昭和二六年に第七の土地を二一四万九一九六円で房次郎から取得したものの、昭和三五年に至り、前記解散命令申立事件の成行きにより右土地が第三者の手に渡ってしまうことを阻止するため、これを原告らの所有に移そうとしたが、右土地の時価が著しく騰貴していたことから敢えて通常の取引方法である右時価による売買を避けて、先の売買契約の合意解除という形式をとったものと推認されるのであって、これは、経済的、実質的見地からみて経済人の行動としては不合理、不自然なものであるというほかはなく、この行為計算を容認する場合においては、右時価による譲渡が行われた場合に比して同族会社の社員と親族関係にある原告らの所得税の負担を不当に減少させる結果となるものであるから、法六七条の規定により否認されることを免れないものといわなければならない。したがって、右取引にかかる原告らの所得税は、大和不動産から右土地を当時の時価四六〇五万三五二五円で譲り受けたものとして算定するのが相当である。

そうすると、原告らは、前記合意解除により先の売買代金として二一四万九二二三円を大和不動産に返還することを約し、また、大和不動産の債務六五万五八八四円を原告らにおいて引き受けたことは被告の認めるところであるが、他に第七の土地を取得するについて原告らが負担した額があることを認めるべき証拠はないから、前記時価四六〇五万三五二五円と右合計二八〇万五一〇七円との差額四三二四万八四一八円は大和不動産から贈与されたものとみなされるべく、これは原告らの一時所得を構成することになる。そして、右四三二四万八四一八円ののうち、原告幸作に帰属するのはその二分の一にあたる二一六二万四二〇九円となるから、これから特別控除額一五万円を控除した二一四七万四二〇九円に二分の一を乗ずると、一時所得金額は一〇七三万七一〇四円となる。

(原告貞子)

1  不動産所得金額

前記二1で認定したとおり第一の土地についての地代収入は原告らに帰属するものであり、他の点については当事者間に争いがない。そうすると、不動産所得金額は、被告主張のとおり五六万四九八一円となる。

2  配当所得金額

総所得金額に含まれるべき配当所得金額が二万一五八〇円であることについては当事者間に争いがない。

3  一時所得金額

一時所得金額が一〇七三万七一〇四円になることは、原告幸作について認定したところと同様である。

4  原告貞子が法定申告期限内に昭和三五年分の確定申告書を提出しなかったことは当事者間に争いがないので、同原告は無申告加算税の賦課を免れない。

五  昭和三六年分の総所得金額

(原告幸作)

1  給与所得金額

総所得金額に含まれるべき給与所得金額が六八万八〇〇〇円であることについては当事者間に争いがない。

2  不動産所得金額

(一) 前記二1で認定したとおり第一の土地についての地代収入は原告らに帰属するものであり、不動産賃料に関する他の点については当事者間に争いがない。そして、第二の土地についての地代収入三万九〇〇〇円が原告幸作の不動産収入に加算されるべきことは前記二3で認定したとおりである。そうすると、被告の主張する地代収入一七八万一五〇七円に右三万九〇〇〇円を加算した一八二万〇五〇七円に所得標準率七〇パーセントを乗じた一二七万四三五四円から特別経費七万六〇〇〇円を控除すると、不動産賃料は一一九万八三五四円となる。

(二) 更新料については、興産信用金庫から収受した金額の点を除き、当事者間に争いがなく、成立に争いのない乙第六八、第六九号証によれば、石興産信用金庫から収受した更新料は五二万六七五〇円であったことが認められる。そうすると、更新料は、被告主張のとおり三六万三三七五円となる。

(三) 右(一)の不動産賃料一一九万八三五四円と(二)の更新料三六万三三七五円を合算すると、不動産所得金額は一五六万一七二九円となる。

3  配当所得金額

前記二2で認定したとおり本件株式の配当金は原告幸作に帰属するものであり、他の点については当事者間に争いがない。そうすると、配当所得金額は、被告主張のとおり五万四〇三七円となる。

4  雑所得金額

(一) 上野菊雄からの貸付利子収入四万〇六〇〇円があったことは認めることができないが、このうち三万九〇〇〇円が不動産収入を構成することは前示のとおりである。

(二) 前記二4で認定したとおり東日本開発に対する長期貸付利子収入は五万九四七〇円である。

(三) 東日本開発に対する短期貸付利子収入について

原告幸作が東日本開発に対して被告主張のとおりに金員を貸し付けたことは当事者間に争いがなく、前掲乙第四二号証、同号証により成立を認める乙第六一号証(右乙第四二号証の別添7と一部同一のもの)、成立に争いのない乙第六二号証、証人池ノ内春治の証言によれば、右貸付けにあたり利息概ね年一割の約定が結ばれたことが認められる。そして、東日本開発が昭和三六年中に右貸付金に対する利息の支払いをしなかったことにつき当事者間に争いのない本件においては、右未収の約定利息は、利息制限法所定の制限利率を超えない限り、課税の対象となる。原告幸作は右貸付金債権は貸倒れによって回収不能になったと主張するが、失当であることは前記二4で説示したとおりである。

そこで、課税の対象となる未収の約定利息額をみるに、前掲乙第四二号証、第六一、第六二号証、証人池ノ内春治の証言によれば、原告幸作と東日本開発とは昭和三六年一二月に前記貸付金に対する貸付の日から同月三一日までの未収利息額が被告主張のとおりの額であることを確認したことが認められるところ、このうち昭和三六年分として収受すべき金額が同年分の利子収入に含まれるべきものというべきである。そして、右確認したところを基礎に昭和三六年分の利子収入に含まれるべき額を月割計算によって求めると、東日本開発に対する短期貸付利子収入は被告主張のとおり二〇万二〇五五円となる。

(四) 仲介手数料について

前掲乙第二号証、成立に争いのない乙第六四号証、証人小林守の証言により成立を認める乙第九五号証とこれにより成立を認める乙第六五号証(その明石商事株式会社名下の印影が同社の印章によるものであることが右乙第九五号証により認められるので、右の印影は同社の意思に基づいて顕出されたものと推定すべく、したがって、全体が真正に成立したものと認められる。)、弁論の全趣旨により成立を認める乙第六六号証、原告幸作本人尋問の結果(一部)を総合すると、原告幸作は個人として日本冷蔵から昭和三六年七月七日に土地売買仲介手数料として六万六〇〇〇円を、また、同年九月一五日に土地造成工事土地測量委託仲介手数料として四〇万二六六〇円を受領したことが認められ、右認定に反する原告幸作本人の供述部分は措信しない。

右六万六〇〇〇円と四〇万二六六〇円を合算すると、仲介手数料は四六万八六六〇円となる

(五) そうすると、(二)の東日本開発に対する長期貸付利子収入五万九四七〇円、(三)の短期貸付利子収入二〇万二〇五五円、当事者間に争いのない手形割引手数料収入六万五〇五五円を合算した三二万六五八〇円に所得標準率八七・五パーセントを乗じた二八万五七五七円と、(四)の仲介手数料四六万八六六〇円に所得標準率八〇・三パーセントを乗じた三七万六三三三円(本件の仲介手数料にかかる所得金額を算定するにあたり所得標準率八〇・三パーセントを適用するのが相当であることは当事者間に争いがない。)を合算すると、雑所得金額は六六万二〇九〇円となる。

5  譲渡所得金額

第一の土地(取得価額は一五六万一八七七円)が昭和三六年中に丸幸に対して一二三万九〇〇〇円で譲渡されたが、その当時の価額が九五七万三一七七円であったことは当事者間に争いがなく、したがって、これは、法五条の二第二項にいう著しく低い価額の対価での資産の譲渡というべく、譲渡の時における価額九五七万三一七七円で当該資産の譲渡があったものとみなして譲渡所得が発生するものというべきである。そして、第一の土地が原告らの共有(持分二分の一ずつ)にかかるものであったことは前記二1で認定したとおりであるから、右譲渡所得も原告らに帰属することになり、原告幸作の譲渡所得金額を算定すると、被告主張のとおり一九二万七八二五円となる。

(原告貞子)

1  不動産所得金額

(一) 前記二1で認定したとおり第一の土地についての地代収入は原告らに帰属するものであり、不動産賃料に関する他の点については当事者間に争いがない。そうすると、不動産賃料は、被告主張のとおり一〇六万九九一六円となる。

(二) 更新料については、興産信用金庫から収受した金額の点を除き、当事者間に争いがなく、前掲乙第六八、第六九号証によれば、右興産信用金庫から収受した更新料は五二万六七五〇円であったことが認められる。そうすると、更新料は、被告主張のとおり三六万三三七五円となる。

(三) 右(一)の不動産賃料一〇六万九九一六円と(二)の更新料三六万三三七五円を合算すると、不動産所得金額は一四三万三二九一円となる。

2  配当所得金額

総所得金額に含まれるべき配当所得金額が四万五六二〇円であることについては当事者間に争いがない。

3  譲渡所得金額

原告幸作について認定したとおり、第一の土地の譲渡にかかる譲渡所得は原告らに帰属するものであり、原告貞子の譲渡所得金額は一九二万七八二五円となる。

4  原告貞子が法定申告期限内に昭和三六年分の確定申告書を提出しなかったことは当事者間に争いがないので、同原告は無申告加算税の賦課を免れない。

六  結論

以上の検討の結果を集計すると、原告らの本件係争各年分の総所得金額とその内訳は、別表四、五のとおりとなる。

これによれば、原告幸作の昭和三四年分所得税の更正処分及び過少申告加算税賦課決定(昭和三八年三月一四日付再更正処分及び昭和四七年一〇月三一日付再々更正処分により一部減額された後のもの)のうち総所得金額五四六万一六〇一円を基礎として算出される額を超える部分は違法として取消しを免れないが、その余の各課税処分には原告ら主張の違法はない。

よって、原告らの本訴請求は、右の限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九二条但書、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(栽判長栽判官 佐藤繁 栽判官 八丹義人 栽判官 菊池洋一)

別表一

(昭和三四年分)

〈省略〉

(昭和三五年分)

〈省略〉

(昭和三六年分)

〈省略〉

別表二

(昭和三四年分)

〈省略〉

(昭和三五年分)

〈省略〉

(昭和三六年分)

〈省略〉

別表三

〈省略〉

なお昭和35年は366日である。

別表四

原告幸作の総所得金額

〈省略〉

別表五

原告貞子の総所得金額

〈省略〉

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